最近のゲームの映像を見ていると、本当にすごい時代になったと思います。光の当たり方や水の動き、キャラクターの表情まで細かく作られていて、画面を見ただけでも、そこにかなりの技術と手間が掛かっていることが分かります。実際、自分もゲームをかなり遊んできました。その中には、モンハンやApexのような、大企業が全力で作った3Dゲームもあります。そうしたゲームを遊んでいると、画面の中へ入り込んだような感覚があります。3Dグラフィックが作る没入感はやはりすごいですし、簡素なゲームを作っているからといって、その価値を否定したいわけではありません。

ただ、映像が進化した分だけゲームが面白くなるのかと考えると、自分は少し違うと思っています。見た目のすごさと面白さは、同じ方向を向くこともありますが、いつも一緒に増えていくものではありません。3Dグラフィックがすごくて、ゲームとしても面白い作品はあります。その面白さの全てが3Dグラフィックから生まれているとは思いません。極端な例ですが、テトリスで画面に出てくるのは、形の違うブロックです。それを動かして、回して、隙間を埋める。やっていることを言葉にすればかなり簡単です。マインスイーパーも、並んだマスと数字を見て爆弾の場所を考えます。Cookie Clickerは、画面にあるクッキーをクリックするところから始まります。どれも、現実と見分けが付かない映像を見せるゲームではありませんが、簡素で面白いゲームです。

この三つは、面白さの中身も操作も全く違います。それでも、画面を細かく作り込まなくても、ゲームとしての面白さは成立しています。テトリスのブロックを写実的にしたからといって、置き方を考える部分が急に面白くなるわけではありません。マインスイーパーのマスに豪華な質感を付けても、数字から安全な場所を考える部分は変わりません。見た目は遊びを支えますし、見た目によって成立するゲームもありますが、どのゲームでも同じ重さで必要になるものではないと思います。こういうゲームを見ると、面白さを作るために必要なものは、必ずしも画面を豪華にすることではないと感じます。自分も、簡素だけれど遊んでいる間はちゃんと面白い、そういうゲームを一度作ってみたいと思いました。自分が作っているブラウザゲームでも、まずはそこを目指しています。

ここで、3Dゲームと簡素なゲームのどちらが上かを決めたいわけではありません。自分はモンハンやApexを遊んできましたし、3Dが生む没入感はすごいと思っています。それと同時に、テトリスやマインスイーパーのような簡素なゲームにも面白さがあります。面白いゲームが一つの見た目にだけ集まっているわけではない。そう考えると、自分が作るものまで大きな3Dゲームの形に寄せる必要はありません。自分は、簡素な側にある面白さを作ってみたいのです。

モンハンやApexのような3Dゲームを快適に遊ぼうとすると、それなりに性能の高いPCが必要になります。あれだけ作り込まれた3Dグラフィックを動かすために、PC側にも性能が必要です。特に、このゲームは子供にも遊んでもらえるものにしたいと考えています。子供が使うPCが、いつも新しくて性能の高いものとは限りません。これは想像だけで書いている話でもなくて、自分自身が子供の頃、性能の低いパソコンで頑張ってゲームを遊んでいました。高性能なPCがなければゲームを楽しめない、という形にはしたくありませんでした。今もどこかにいる、当時の自分と似た環境の子供にも、快適に遊んでほしいと思っています。遊びたいと思った時に、そのPCの性能が最初の壁になるゲームにはしたくないのです。

性能の低いPCで頑張って遊んでいた子供は、昔の自分です。今このゲームを作る時、その頃のことを抜きにして、遊ぶために必要なPCの性能を考えることはできません。手元にあるパソコンで何とか遊ぼうとしている子供にも、ゲームの面白さまできちんと届いてほしいと思います。作る側になった今、自分が持っていた環境と似た環境にいる子供を、PCの条件だけで最初から外したくありません。

子供の頃の自分に今のゲームを渡すなら、「もっと性能の高いPCを用意してから」とは言いたくありません。持っていたPCで快適に動き、そのまま面白く遊べるものにしたい。今の子供たちについて考える時も、基準にあるのはその感覚です。

見た目を簡素にすることは、ここでは我慢や妥協だけを意味しません。高性能なPCを前提にしないことも、どんな人に遊んでほしいかを考えた結果です。このゲームには、性能の低いPCでも快適に動くことと、ゲームとして面白いことの両方が必要です。軽さのために面白さを諦めるつもりはありませんし、面白さを理由に高性能なPCを求めるつもりもありません。その両方を目指す今の形が、このゲームには合っていると思っています。

作る側の事情もあります。ゲームの見た目は、一部分だけを少しリアルにすれば、それだけで全体が良くなるとは限りません。仮に一つの要素だけを細かく作ると、その隣にあるものの簡素さが急に目立ちます。そうなると、背景も、文字も、動きも、同じくらい綺麗に整えたくなります。一箇所を直したことで、直す場所が次々に増えていく感覚です。リアルさを混ぜるなら、画面全体が同じ水準に見えるところまで作らないと、かえって違和感が残ります。これはかなり大変です。

少しだけリアルにするつもりでも、その少しを自然に見せるためには、周りまで同じ水準へ近付ける必要があります。すると、手を入れる対象は一つで終わりません。ちょっと綺麗にするつもりで始めたことが、結局は画面全体を綺麗にする作業へ広がります。自分が難しいと感じているのは、まさにそこです。

リアルなものは、それ単体では綺麗でも、周りの簡素なものを未完成に見せてしまうことがあります。逆に、最初から全てが簡素な方向へ揃っていれば、一つ一つの情報量が少なくても、それだけで浮くわけではありません。どこか一箇所だけを豪華にするより、同じ画面にあるものが同じ雰囲気に見えることを選びました。細かく描き込まないと決めた後にも、全体を合わせる作業は残ります。今のゲームでは、その合わせ方を選んでいます。

自分はデザイナーではありません。少しずつリアルな素材を足しながら全体を成立させるより、最初から簡素な雰囲気に揃える方が、自分の作れる範囲では自然に見えると判断しました。要素の細かさを競うより、画面に出るもの同士の雰囲気を合わせる。今の見た目に大きな違和感がないとしたら、全体を同じ方向へ揃えたことが効いているのだと思います。どこまで綺麗に作れるかを競うより、全体をどこまで同じ雰囲気にできるかを考えた結果です。

ゲーム作りでは、やろうと思えば手を入れられる場所がいくらでも出てきます。グラフィックを細かくし始めれば、そこだけで時間を使い続けることもできます。でも、難しく作り過ぎて、ゲームの大事な部分に手が回らなくなったら、自分が作りたかったものから離れてしまいます。そこへ使うはずだった時間を、見た目の細部だけで使い切りたくありません。少なくとも今は、全体の雰囲気が揃っていて、子供が性能の低いPCでも快適に遊べて、その上でゲームとして面白いことを優先したいです。

グラフィックを作り込むこと自体をやめたいわけではなく、着手する順番の話です。ゲームの大事な部分がまだ残っている時に、見た目だけを難しくする必要はありません。先に大事な部分へ手を入れて、そこが形になってから見た目を考える。その順番なら、自分が本来作りたかった面白さを置き去りにせずに済みます。

見た目を今より作り込まないと決めたわけではありません。もっと細かくしたい部分も出てくると思います。ただ、それはゲームの大事な部分へ手を入れた後に着手したいです。今は、見た目の豪華さに頼らなくても面白いゲームを作れるか、そこにきちんと向き合いたいと思っています。